鞭について

先日、天之介さんのところで新しい一本鞭をオーダーしました。

 

天之介さんはお話がとても上手くて、そしてSM的なお遊びを楽しんでいるんだな、というのがひしひしと伝わってくる語りをしてくださる。

毎度お会いするたびに、虚構ではなくて、故に見栄えのしない地味でリアルなお遊びのお話を聞くのがとても楽しい。

 

そんな天之介さんのところで鞭をオーダーしたわけだけれど、鞭についていろいろと考えていた矢先なので、よりいろいろと深く、考えさせられた。

 

SMのお道具は重い。そして嵩張る。ポーターマゾと運転手マゾをいつか侍らせよう、と思うほどに。まあ私がドミ気質が強いのもあるけれど。

そんな重くて嵩張るマゾの夢と希望を運ぶとき、どうしても軽くてコンパクトなお道具を基本的にチョイスしがちになってしまった。これは私の怠慢。反省。

私がおマゾたちに一本鞭で与えたかったのは重い痛み。鋭い、切れるような痛み。焼けるような熱くて横一直線の美しい痛みだ。

自分が運ぶのが面倒臭いという理由でおマゾに与える痛みの幅を狭めてはいけない。

 

 

とまあここまで勢い良く書き連ねたもののいまいち筆が乗りきらず、残念ながら不参加の超鞭会in東京への想いを馳せて、後半を綴る。

 

私がマゾに与えたいのは横一本の熱く美しい痛み。

ところプレイ中、私は感情の揺れ動き、そして非言語的コミュニケーションを大切にしている。

 

鞭で、取りたいのだ、コミュニケーションを。

鞭で、会話がしたい。

 

そう思うとやはり西口ゆかさんの鞭を初めて拝見した時の感動は圧倒的で、コントロールとは、鞭による陶酔や愛撫というのはこういうことか、とストンと入ってきたのだった。

 

兎に角痛い鞭は道具と力があれば(たぶん)誰にでも出来る。

その中でひとつ、やはり私は飛び道具使いだし、というのと、目を見て打ちたい、というのと、プレイにおける基礎を吸収した場所の思想を強く感じたりもした。

 

鞭を己の手のように細やかに動かし、目を見て意思疎通をし、そして熱く美しい嫌な痛みで悶えさせたいな、と思うばかりの今日この頃。